サブカルworkshop

【感想】『水曜日が消えた』

中村倫也が1人7役に挑戦

 約三ヶ月振りのブログとなってしまいました。ドラマ『映像研』の感想を書きたいとは思っても、学生生活で忙しい上に自分の怠惰な性格もあって、中々更新できませんでした。そんな中、この映画に出会ったことで、今回久々にブログを書きたいと思いました。では、映画の感想に行きたいと思います。ネタバレ注意です。


(あらすじ紹介) 幼い頃の交通事故が原因で、曜日ごとに人格が入れ替わる「僕」。そのうち几帳面で真面目な人格の「火曜日」は、好き勝手振る舞う他の人格の代わりに、家の掃除、担当医への定期報告など、損な役割を引き受けている。本が好きだが、近所の図書館は火曜日が休館日。彼は火曜日の世界に閉じ込められていた。いつも通りの一日を過ごし、来週の火曜日に備えて眠りにつくのであった。しかし、次に目覚めたのは翌日の水曜日であった。初めての図書館、司書との恋と、知らなかった世界の出会いに胸を躍らせていたが、次第に「火曜日」の身に異変が訪れる。




  あらすじからも分かると思いますが、この映画は主演の中村倫也の1人7役を見るものではなく、基本的に「火曜日」という1つの人格の日常を見るものとなっています。映画の魅力の一つとして、やはり主演の中村倫也の演技が挙がります。几帳面で真面目な「火曜日」は、他の曜日の好き勝手な行動や退屈な日常に愚痴を漏らしながらも、淡々と一日をこなしていきます。しかし、水曜日になっても人格が入れ替わらなかったとき、今まで知らなかった世界に目を輝かせてまるで子どものようで、初めて入った図書館の司書に恋をする様子も非常に可愛らしい。それだけでも十分に見ていられるのですが、その後出てくる「月曜日」の演技や、ラストの他の曜日の演技が、声のトーンだけでなく、表情も全然違うもので、まるで別人のようでした。同じ「僕」でもそれぞれの曜日に異なる日常があるということに説得力があります。

 次に魅力はVFXを用いた映像演出だと思います。監督の吉野耕平は、『君の名は。』にCGクリエイターとして参加し、次の時代を担う気鋭のクリエイターとして注目されています。そのVFXの一つとして、「火曜日」の見る夢で、割れた鏡に映る一匹の鳥が何匹にも分かれるというシーンが何度か出てきます。最初はその意図が分からないのですが、物語が進むにつれてその意図が分かるようになります。そして、それによって、最後「僕」の身に何が起こったかも言葉でなく映像で説明されます。そこが非常に気持ちがいい。

 そもそもこの映画全編にわたってあまり説明がされないというか、観客のためにわかりやすく説明するのは冒頭の「僕」の設定だけです。登場人物のやり取りは、本編が始まる前からの日常の続きになっていて、変な説明台詞もなく、映像も併せて彼らの日常を覗いているような感覚になります。

 とりあえずこの映画、多重人格ものですが、そこまでホラーやサスペンス要素はありません。映画のメッセージは「毎日を大切に生きる」です。他の曜日がそれぞれ才能を持っているのに対して、「火曜日」は自分は地味な存在と卑下します。そして、次第に人格が統合していき、「僕」が「僕」じゃなくなることに「火曜日」は怯えます。しかし、分散された人格は本来の「僕」の一部だと思います。それは幼少期のシーンからも分かると思います。幼少期の「僕」が抱えている箱の中には、絵の具やリコーダー、テニスラケット、将棋盤にスコップと、それぞれの曜日の人格に関わるものが入っています。最後、「僕」は7つの人格を保つことを選択しますが、それぞれの曜日にとって大切なものを守ることで物語は閉じます。

 そして、エンドロールも最後まで観てほしいです。エンドロールでは、各曜日の人格の付箋でのやり取りが見られますが、このやり取りが非常に可愛らしい。魚のイラストのみで意図をほとんど読み取れない「日曜日」や相変わらず損な役を引き受ける「火曜日」と、中村倫也の演技や映像演出が魅力の映画でもありますが、最後にはキャラクターを楽しむ要素もあり、そこも魅力として成り立っています。

 ちなみに、映画を観た後は、映画の脚本を基にした小説もぜひ読んでみてください。映画の内容を補完しながらも、映画とは異なる展開、結末が見られます。やや理屈っぽいと感じる所もありますが、映画を楽しめたならば十分楽しめる作品になっていると思います。